カルト・陰謀・秘密結社大事典(アーサー・ゴールドワグ:2010年10月)
古今東西のカルト宗教、陰謀論、秘密結社が大集結!
事典と銘打ち目次はあいうえお順に並んでいるが、ちょっと探しづらいかも。
ただ内容は中立的に書かれているので、調べものをするには良い本です。
あと表紙がこわいよ。人のいる場所では読めないよ。
はじめにまとめ
・カルトはマインドコントロール
・陰謀論はどうにもならないことに対する一般人の喘ぎ
・秘密結社は仲間意識
・マインドコントロール
カルトをカルトたらしめるのは、教義がどのようなものかという事はあまり問題ではなく、指導者がどのくらい権限を持ち、信者がどのくらい奴隷のように服従しているかによる、と本文中に記載があった。しかし信者も信者で、指導者を神輿に担ぐため「自分は特別な存在、選ばれた存在」「こいつらを自由に操れる」と錯覚させてしまうケースはあると思う。共依存の集団バージョン。実は、信者だけでなく、指導者もマインドコントロール下にあるのではないだろうか。
・一般人の喘ぎ
9.11はアメリカの自作自演、エイズは細菌兵器、3.11も仕組まれたもの、金本位制はロスチャイルド家の陰謀、など何でもかんでも陰の組織に結び付ける論調(極論)もあるが、これらは人間の力ではどうにもならない悪い事を、裏で操っている者がいる!と指摘することで「自分は把握できている」「この状況は変える事ができる」とする一般人の喘ぎである。陰謀論が進展した結果『得をするのは誰か』に思いを馳せてみるのも面白いと思う。
・仲間意識
本文中に記載されている中には学生サークル的なノリのものや、インテリの社交パーティ、山口組(ヤクザ)、薔薇十字団(ローゼンクロイツ)など多種多様である。これらに共通するのは秘密の隠れ家的な集合場所(ロッジ)、合言葉、シンボルアイテム等、仲間意識を強調するものがあることだ。またカルトのように絶対的な支配者が存在せずフラットなのも特徴のひとつ。KKK(クー・クラックス・クラン)やフリーメイソンもここに含まれる。
こういった本はなかなか面白いのですが、やはり一定の距離を置いて読むのがよいと思われます。臭い物にはフタをして海に沈められるのが世の常ですが、一般人はそのフタを開ける術を持ち合わせてないんですから。。
おわり
カインは言わなかった(芦沢央:2019年8月)
クラシックバレエを題材にしたミステリ作品
芸術を追い求める人たちの「そこまでやるか?」な行動。
まさに狂おしほどに選ばれたい、ですね。
はじめにまとめ
・のっけから殺人シーン。しかし犯人も被害者も最後まで分からないミステリ
・”表現者”としてのエグイ心理描写がみどころ
・クラシックバレエの演目について少しだけ詳しくなれるかも
ミステリ:
バレエの演目「カイン」の主役に選ばれた藤谷誠。しかし
「カインには出られない」と彼女に連絡をよこし失踪してしまう。一体どこに?
冒頭の殺人シーン、犯人は誠だったのか、それとも彼が被害者なのか。
誠には「豪」という画家の弟がいる。奇しくも「カイン」は弟殺しの作品だ。
表現者:
クラシックバレエ団「HHカンパニー」の代表者、誉田。
あ~わかる、鬼監督って絶対こんな感じだわ、ってのがよく伝わる。
最低限の言葉数での指導。自分なりに頭をフル回転させて
「多分こうかな」って演技する。そしたら「違う」って一蹴。
中身入りのペットボトルを投げつけられる。冷や汗ダラダラ、胃がキリキリ…
表現者とはここまでエグくストイックなのか。
この作品では三つの演目が登場します。
カイン:初めて人間が人間を殺したエピソードとして旧約聖書に登場。
神に選んでもらえなかった絶望、嫉妬。兄による弟殺し。
ジゼル:恋人には愛人がいたことが発覚して悲嘆の末に妖精に転生してしまった娘
男を死の舞踏に誘う。この作品では性別が逆転されている。
オルフェウス:妻を亡くした夫が冥界に赴き、妻を連れて帰る。帰途の途中、
「絶対に振り返ってはならない」という禁忌を犯してしまう。
先ず「芸」に身をやつす男が3人。誉田監督と藤谷兄弟。彼らに恋人や団員が振り回される形で話は展開する。正直、あまり感情移入はできない。
しかし表現者というのは、やはり「芸」に一生を捧げているわけで、普通の人生を歩むことを選んだ一般読者が感情を推し量ろうとするのは、土台無理な話なのかもしれない。
表現者としての覚悟、そして表現者の上には”評価者”がでんと鎮座している事がまざまざとわかる作品でした。
おわり
ギグワーク(長倉顕太:2019年10月)
ベストセラー作家を量産した
元編集者・長倉顕太さんのお仕事本。
ギグとは音楽用語で「一回限りの演奏」とか「単発」とか
そんな感じの、即興音楽ぽい意味合いです。
初めにまとめ
・サイバネティクス的に選択肢を増やす行動を取り続けよう
・生きてるだけでtakeだらけ。それを凌ぐくらいgiveしよう
・人生の4つの資源、特に時間は重要。
選択肢を増やす:
『絶対的な安定』なんてそもそもない。
お金に価値があるのは『お金に価値があると思っている人たち』が居るから。
その人たちの考え方がコロッと変わったら、お金は紙切れに変わる。
ネットで目に入る情報のほとんどにはレコメンド機能(他薦)が働いているので
敢えて自分の興味がない情報に触れる仕組みを残しておくのは重要。種類豊富な大型書店に行こう。
※サイバネティクス:本書では戦闘機の照準合わせ、舵取りといった意味で使用されている。
give:
自分から何かしらのコンテンツを発信すること。
音楽、動画、イラストなど色々あるがテキストが最強だと著者は言う。
作業環境を選ばない、年齢を選ばない。
後から音声をつけたり映像化するなど柔軟性がある。
影響力は、何を言うかよりも『誰が言うか』が大事なので
キャラクター=ポジションを先ずは作ること。
既存の影響力がある説に対する反論をするとその影響力を利用できる。
4つの資源、特に時間:
資源とは「お金」、「能力」、「時間」、「人脈」の事。
特に時間は重要で全ての人間に平等に振り分けられている資源。朝の早起きはマジで重要。
時間が無駄に奪われる環境からは逃げましょう。
逃げて、得た時間は投資(勉強、特に著者は読書を推している)にまわす。
ビジネスは下請け的な業務ではなく元締めができそうな事に着目する。
正社員信仰、戦後高度経済成長のステレオタイプな幸福を
教えるだけの場所になっており(知識やスキルを増やせ)
定年退職後は年金で悠々自適、もう一切働かないぜ!のマインド醸成。
企業は学校で学んだスキルと時間を叩き売りして疲れ果てる場所になっている。
すべての人、職場に当てはまる訳ではないですが、
こうした環境に陥っている人が投資の時間を作るのは難しい。
ギグワークはこうした時間の束縛から逃れ、
ほどほどの収益、将来を見据えた学習時間のバランスが取れる働き方。
人生100年時代では、こうした「柔軟」で「サバイバル」な思考が
必要になって来るのではないでしょうか。
おわり
千の顔をもつ英雄(ジョーゼフ・キャンベル:2015年12月)
昔々から語り継がれる物語には共通点がある。この本では
その普遍性を『英雄』と呼び、数多の言い換えられ方を『千の顔』と表現している。
スターウォーズの監督、ジョージルーカスも絶賛。
かなり読みづらいので腰を据えましょう。
初めにまとめ
・神話の標準的な流れは『分離』→『イニシエーション』→『帰還』である。
・神話の機能は昔から人の精神を前向きにさせることである。
・おとぎ話の英雄は、小宇宙的な勝利を、神話の英雄は大宇宙的な勝利を得る。
・真実はひとつ、賢人はそれにたくさんの名前をつけて語る。
分離、イニシエーション、帰還:
内容は後日記載。
神話の機能:
内容は後日記載。
小宇宙的な勝利、大宇宙的な勝利:
内容は後日記載。
真実はひとつ:
内容は後日記載。
おわり
ダイアローグ(ロバート・マッキー:2017年10月)
【ダイアローグ:あらゆる登場人物があらゆる人物に対して発する、あらゆる言葉。】
映画、小説、演劇、ドラマのシーンを例にとり、創作をしている人なら
『そうだよね』と感じる会話の巧拙について解説してくれている。
洋画の小洒落た掛け合いを想像していただけると良いかと思います。
最初にまとめ
・会話は登場人物の性格描写の機会である。
・テクストとサブテクストを意識する。
・不自然な会話はNG。読者を興醒めさせてしまう。
・含みを持たせた会話を心掛ける。営業報告のような会話は避ける。
性格描写:
性格描写には、その人物の深層心理や倫理観を示す”実像”と、
外見的、表面上、行動の総体を表す”性格描写”があります。
読者に興味を持ってもらうため、まずは性格描写を行わないといけませんが、
その人物をひとりの人間として深みを出すためには”実像”も表す必要があります。
”実像”は、危険だらけの行動を選んだとき、窮地に陥ったとき、
選択と行動を迫られたときに初めて明るみに出ます。
異性とのデートで予想外のトラブルに出くわした時、
どのような対応を取るかでその人がパートナーにふさわしいかを判断する、
というのはよく聞く話ですよね。
テクストとサブテクスト:
テクスト=読者が頭に描いたり、観客が見たり聞いたりするそのもの。
サブテクスト=表層の下に流れる意味や感情のこと。
映画『バイオハザード』で、冒頭に研究員の男性がぶつかって
衣服にコーヒーが掛かるシーンをご存知でしょうか?
ここで男性はとっさに(シャツがおしゃれな柄になった、と皮肉を込めて)
『ありがとう!』と一言呼びかけますが、
これなどは明らかにサブテクストを意識したダイアローグと言えるでしょう。
不自然な会話:
人物それぞれにも語彙力があるはずで、
子供が、明らかに学校で習っていない単語を喋ったり経済理論を知っていたら、
そのシーンには違和感が生まれます(もちろんそういう設定なら問題ナシ)。
仲の良い男子学生2人は、会って早々挨拶なんて交わさないし、
長い時を過ごした夫婦は、愛を囁きあったりしないもの。
物語を進ませるために陥りがちなのが事務連絡のような会話で、
これは人物の生命力を奪っていると言っても過言ではないですね。
含み:
”含みのない台詞”は、サブテクストを殺します。
薄っぺらな言葉は、意識して語らずにいる思考や欲望(言わないこと)も、
無意識の欲望やエネルギー(言えないこと)をも消し去って、
ただ発せられた言葉だけでわざとらしく露骨に場面をスライドさせます。
日常会話とダイアローグの決定的な相違は、内容が詰まっているかどうか。
ダイアローグは意味を凝縮しますが、日常会話は内容を薄める。
良質なダイアローグは現実を模倣しない、と本文でも言及されています。
よく映画では、シリアスな場面や追い込まれた場面で
役者にジョークを飛ばさせたり、機知に富んだ発言をさせますが、
これらは余裕のある人物像を含ませた表現と言えるでしょう。
作品世界にも『氷山理論』というものがあります。
これは、表面の2割によって、隠れている8割も表現するという
ヘミングウェイの説いた文学理論です。
『言わないこと』や『言えないこと』に読者は強く引き込まれる、
これを念頭に置いて、人間関係や育った環境、何を大事にしているかを
台詞から滲み出させること、登場人物の”人間性”を無視しないことで
物語の魅力はさらに引き立てられるでしょう。
おわり
思えば、孤独は美しい (糸井重里:2017年12月)
株式会社ほぼ日の代表取締役社長、糸井重里さんの本(マザー2の生みの親!)。一年間で呟いたり書き留めた文章から、これはというものを選んで一冊にまとめられている。『小さなことばシリーズ』として毎年発刊されているようだ。
初めにまとめ
・優しい言葉の数々による癒し&内省。
・どこから読んでもOK。
・こだわりのある装丁、糸井重里さんのメッセージカード1枚付き。
・ヒグチユウコさんの表紙絵がふつくしい。
癒し&内省:
例えばこんなふう。
『悪口を言わないでいるうちに、悪口を思いつきにくくなるんだ。』
『とにかく、骨惜しみしないものがうまくいく。骨惜しみしないとは、すなおに、すぐに、すっとやる。』
『多忙は怠惰の隠れ蓑である。次から次にやらねばならないことがあるときは、立ち止まって疑いを持つということができない。まったく別の視点から見直す、いったん止めて熟成を待つ、原点から考えてみるということができない。多忙は本質を見えにくくしてしまう。』
どこから読んでもOK:
気負わず、腰を据える必要もなく。読もうかなーと思った時にすっと読めて、すっとやめられる。パラパラっと捲ってみて、目に止まったところを読むのが良さそう。
装丁:
少しざらついて触感が良い『タントセレクト』という紙を使用している。ページのカドは面取り加工が施されており、すべて職人さんの手加工だとか。また、一冊一冊に糸井重里さんのメッセージカードが付録されているなど随所にこだわりが感じられる。
何種類あるか不明です。他に『不自由との出合い、不自然の発見、そこから疑問とクリエイティブを生ま』『いざとなったら、紙芝居屋をやろうと思う』『コツコツとずっと地道にやってて、運がくるのを、ちょっと期待する』などなど。
ヒグチユウコさん:
繊細な絵で人気の画家さん。動植物や少女を描かれることが多く、絵本も手掛けられている(この本も傍目には絵本に見えそう)。しかしこれは部屋に飾っておくだけでもインテリアとして機能しますね。お客さんが遊びにきたら『おっ』と手に取ること間違いなし。
電子書籍が隆盛を極める昨今で、”あえて”装丁にこだわりを見せる。それは、柔らかな言葉の数々もさることながら、”手に取る楽しみ・ページを捲る楽しみ”を提供してくれているといっていいかもしれない。先日読んだ『エモーショナルデザイン』でも、”優れたデザイナーは五感にもこだわる”と書かれていました。電子化時代へのひとつの個性の出し方だと思います。この領域、ブルーオーシャンじゃないでしょうか?
おわり
知らない人に出会う (キオ・スターク:2017年7月)
TED本(動画はページ下部にあります)。
知っている人とのコミュニケーション術は数あれど、
知らない人と積極的に話そう!というコンセプトの本はあまり無いのでは。
初めにまとめ
・儀礼的無関心とは、社会性パッシブスキルである。
・TPO*1をわきまえて、第三者を介すると相手は緊張しない。
・見ず知らずの人に話しかけるのがうまい人はほぼ全員が褒め上手。
・逆に他人からの話かけられやすさを狙うのもアリ。
公共の場で見知らぬ人同士が一定の距離まで近づくと、二人は互いをチラッと見て、フイッと目を逸らす。この一連の動作には『あなたがこの場所に居ることを認知しましたよ・あなたには干渉しないし、危害を加えるつもりもないですよ』という2つの意味を含んでいる。人間は動物であり、自身を守るための本能が無意識に働いている。この動作が発露するのは危険を冒すよりは恐れたほうが容易だからでもある。年端もいかない子供が知らない人によく話しかけるのは、良くも悪くもこのスキルが未熟だからだ。
第三者を介する:
特に目立つものがなく、人通りも少ない場所で急に声をかけられたら誰だって警戒する。そういう場所では少し距離をあけて『ちょっと、すいませーん』『あっどうもー』等のクッションを使いましょう。なにかのイベントで人だかりができていたり、観光名所や目をみはるオブジェ等があると、その感想を自分から伝えたり質問をすることによって会話をスムーズに始められる。自分と、話しかける相手、その間に第三者を置くトライアングルの位置関係がポイント。
褒め上手:
見知らぬ人がゆえに外面的なことしか褒められないが、例えばベビーカーの赤ちゃんを『可愛いですね』と伝えたり、犬種を尋ねてその毛並みの良さを讃えたりすることは、少なくとも主人に悪い気はさせないだろう。身につけているものが似合っている、と言うのは常套手段だが、特に個性的ではない人の身なりを褒めるのはあまり宜しくない。没個性のファッションは『目立ちたくない』という気持ちの表れであり、それを無理に話題にあげると嘘くささを誘発して怪しい人間になってしまう。あくまで相手に”特徴的な何か”がある場合に有効だろう。
話しかけられやすさ:
周囲から浮いた服装をしている、犬か赤ん坊を連れている、珍しい型の自転車に乗っている、スーツケースを引いている、立ち止まって何かを見ている、歌っている、微笑んでいる、食べている、待っている、等をしていると声がかけられやすい(と書かれているが、日本で当て嵌まるかは微妙なところ・・・)
エジプト人は、見知らぬ人を『自分が知り得ない情報をもたらしてくれる付加価値の高い存在』とポジティブに捉える傾向が強く、旅先で声をかけられると家まで招待される可能性が高いらしい(それに付いて行くかは自己責任笑。)
内向的な人は、知人と話をするより、見知らぬ人と話をする方が後々の人間関係を気にしなくていい分オープンになれる。ダンバー数によると、関係を維持できる認知上限は150人ぐらいが限界だという。つまり日本国内だけでも99.9998%は赤の他人なのだ。こうした行きずりの人々とその場限りの会話を交わすことに殊更臆病になる必要があるだろうか?
パーソナルスペースに土足で踏み入るようなことはしてはいけないけど、ドアをノックするくらいはしてもいいのかな、この本はそんな気持ちをもたらしてくれる。エジプト人に習うべし。
おわり
*1:TPO:時(time)、所(place)、場合(occasion)のこと。TPOをわきまえた服装を〜といった表現が多い